私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。一つになって御名をあがめよう。
詩篇34篇1-3節 (p964)
序 論)この詩篇が歌われた背景は表題に記されています。(サムエル記第一21章10-15節p520参照)サウル王に命を狙われ、悲惨な状況にあったダビデでしたが、この詩篇は主の恵みと主への信頼が歌われています。
この詩篇を通して示されることは…
本 論)
1.主のいつくしみ深さを味わい、見つめる
私たちはうれしい時や幸いな時はすぐに神様に感謝し、賛美できますが、苦しみの中ではなかなかそれができません。ダビデは苦境の中でも
主を喜び、賛美し、誇ることができました。(1-2)
ここでの「貧しい者」(2)とはダビデ自身のことです。
「私とともに…」(3)はダビデのことを時に心配する仲間たちに対しての呼びかけです。
4節に歌われているように神様はダビデを苦境から助け出されました。
「彼ら」(5、7)はダビデの危機を心配する仲間たちのことです。彼らのとりなしの祈りが聞かれて自分は助けられたと言う確信がダビデにはありました。
8節はダビデの素晴らしい信仰告白です。
「味わう」(8)とは経験によって知ることです。「主がいつくしみ深いかたであること」の原文の直訳は「主が善であること」です。
(「主の恵み深きことを味わい知れ」(口語訳)
ダビデは自身を「貧しい者」、「この苦しむ者」(6)と何度も感じる中で主の恵みを覚えました。
「主を恐れる」(9、11)は「畏れる」という意味です。
主に信頼する者には乏しいことがありません。
2.自分をむなしくして主に信頼する
「いのちを喜びとする人」(12)はいのちを与えてくださる神様ご自身を喜び、神様との交わりを持ちつつ歩む人のことです。
13節は言葉の罪の戒めです。
「平和を求め…」は神様の恵みを受け、人と人との間に平和をつくり出し保つことです。(14)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」 (マタイの福音書5章9節p6)
15節以下には主を畏れる者への祝福が告げられています。
主に信頼する者は災いからも救われ、克服する道も与えられます。(17、19)
「心の打ち砕かれた者」、「霊の砕かれた者」は自分の弱さと無力を知り、主の御前にへりくだり、主に信頼する者です。(18)
「贖い出す」(22)の「贖(あがな)う」は「代価を支払って買い取る」ことです。
主イエスは私たちを罪と死から救う代価としてご自分のいのちを与えてくださいました。 (マルコの福音書10章45節p89)
主イエスの十字架と復活によって私たちは罪と死から贖い出され、永遠のいのちに生かされているのです。
「主に身を避ける人」(22)は、「身を避け続ける人」という意味で、それができるのは主の贖いの恵みがあるからなのです。
結 論)約2000年前、ペンテコステの日に世界で最初の教会がエルサレムで誕生しました。 (使徒の働き2章1-47節p236)
その後、世界中に福音が宣ベ伝えられ、教会が建て上げられてきました。
この黒磯の地にも宣教師のお働きにより福音の種がまかれ、70年前に教会が創立されました。そして、毎主日の礼拝がささげられ、宣教の働きが継続されてきました。70年間の主の恵みを覚え、主への感謝と賛美の祈りをささげます。
先人の信仰にならい、私たちも置かれた所で主と教会に仕えてまいりましょう。
「主がいつくしみ深い方であること」そして、主ご自身をさらに味わい見つめ、これからも主をほめたたえつつ共に歩んでまいりましょう。