ヨハネの福音書12章34~43節

「もうしばらく、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことがないように、あなたがたは光があるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのか分かりません。 自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい。」
          ヨハネの福音書12章35-36節 (p209)

序 論)エルサレムに入城された主イエスはユダヤ人たちや訪ねて来たギリシア人に語られました。(23-26)
 父なる神様の御声が聞こえた後、主イエスはさらに語られます。(28-33) 
 それを聞いた人々の様子と主のみことばを通して示されることは…

本 論)
1.十字架にかかられる人の子
 ユダヤ人たちが話す「人の子」とは旧約聖書で預言されている「キリスト」(救い主)を意味する言葉です。(34)(ダニエル書7章13-14節p1522)
彼らはキリストがユダヤの国をローマの支配から解放してくださると期待していました。(エゼキエル書37章25節p1483)
 しかし、主イエスが言われる「その人の子」(34)とは「地上から上げられる」(十字架にかかられる)ことによって救いを成されるご自身のことを指して言われたのです。(32)
 彼らには主イエスが「いつまでも生きる」キリストだとは思えませんでした。
 主イエスは不信仰なユダヤ人たちの質問には直接、答えることはなさらず、彼らに最後の訴えをされます。
 主は彼らが「光の子ども」として、正しく歩くことができるように「光」(主イエス)を信じるようにと招かれました。(35-36a) 
 「もうしばらく、光はあなたがたの間にあります。」(35)
と言われたように、これは彼らに与えられた主を信じ受け入れる最後の機会でした。
 しかし、「闇の中を歩く者」(35)のままであった(罪の中にとどまり続けていた)彼らは光である主イエスを憎んでその招きに応じず、光のもとに来ようとはしませんでした。
 主は彼らの前から立ち去られます。(36b)  

2.預言者イザヤが見た主の栄光 
 福音書記者のヨハネはユダヤ人たちの不信仰(37)を旧約の預言者イザヤの預言の成就だと語ります。(38a)
    38節後半はイザヤ書53章1節(p1258)の引用です。
 イザヤはこの53章で「主のしもべ」(「苦難のしもべ」)がイスラエルの民の不信仰により、苦難を受けることを告げます。
 イザヤの預言から約700年後、父なる神様が世に遣わされた「主のしもべ」御子イエス様はユダヤ人の不信仰により十字架の苦難を受けられます。
 さらに彼らが主イエスを「信じなかった」理由が語られます。(39-40)
    40節はイザヤ書6章10節(p1176)の引用です。彼らは心頑なになり、霊的な目がふさがれ、主イエスを信じることができず、主を十字架に追いやりました。
 それは、神様がなされたことだとイザヤは告げます。神様はユダヤ人たちの悪行さえもご計画の中で用いられ、御子イエス様の十字架の死と復活によって救いを成し遂げられました。
 イザヤが見たのは父なる神様の栄光であると共に御子イエス様の栄光でもありました。(41)   (イザヤ書6章1-5節p1176)
 指導者たちの中にも主イエスを信じる者たちがいましたが、彼らは「会堂から追放される」ことを恐れて、主への信仰を公には告白しませんでした。(42-43) (ここでの「栄誉」の原語は「栄光」と同じ言葉)

結 論)十字架と復活により救いを成し遂げてくださった主イエスは今も私たちにとって「世の光」です。   (ヨハネの福音書8章12節p195)
 私たちはイエス様を神の御子、救い主と信じ、闇から光へと移されました。(エペソ人への手紙5章8節p390)
 光であるイエス様は「万軍の主である王」(イザヤ書 6章5節)であり、「栄光の王」(詩篇24篇7-10節p955)です。
 主は今もご自分のもとに来なさいと招き続けておられるのです。

 (参考)
  『光あるうちに光の中を歩め』  
     レフ・トルストイ(1828-1910)
     『光あるうちに』三浦綾子(1922-1999)

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