夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。…イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。 ヨハネの福音書21章4、12節 (p229)
序 論)エルサレムで復活された主イエスにお出会いした後、弟子たちは故郷のガリラヤに戻っていました。ペテロと六人の弟子たちはティベリア湖(ガリラヤ湖)に漁にでかけました。
しかし、一晩中働いても何も捕れませんでした。(2-3)
そのときに起こった出来事を通して示されることは…
本 論)
1.主の御声に従う
夜明けの岸辺に復活された主イエスが立たれますが、弟子たちには主であることがわかりませんでした。(4)
主は弟子たちに尋ねられ、彼らは答えます。(5)
主はさらに御声をかけられました。(6)
彼らが従ったとき、網を引き上げることができないほど多くの魚が捕れました。
このときペテロたちは以前に自分たちが経験したことを思い出したことでしょう。(ルカの福音書5章4-11節p118) そのとき主イエスは「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです」と言われました。そのときから彼らはすべてを主に従いました。そこが彼らの献身の場でした。
「イエスが愛されたあの弟子」(ゼベダイの子ヨハネ)が先ず、あの方は主イエスだと気づきます。(7a)
その言葉を聞いたペテロは上着をまとって湖に飛び込みました。(7b)
弟子たちは一晩かかって何の成果もなかったのに、復活の主の御声に従ったとき多くの魚を得ました。
私たちも自分の力に頼るのではなく主のみことばに従うとき、主は御力とご栄光を現わしてくださるのです。
2.主がともに生きてくださる
ペテロは岸に向かって泳いで行きましたが、他の弟子たちは小舟に乗ったまま「魚の入った網を引いて」陸地に戻ってきました。(陸地まで約90メートル)(8)
弟子たちが陸地に上がると、そこには炭火が起こされ、魚が焼かれ、パンもありました。(9)
主イエスは、弟子たちのために食事の用意をされ、「さあ、朝の食事をしなさい」と彼らを招いてくださったのです。(12)
主は彼らとともに朝食を取られました。
主がパンと魚を手にとられた御姿を見た弟子たちは、かつて主がなされた「パンと魚を五千人に与えられた奇跡」(ヨハネの福音書5章1-14節p187~188)を思い起したことでしょう。
ここで主イエスがパンを手に取り、弟子たちに与えられたことは、最後の晩餐のときに制定された聖餐を象徴しています。(13)
ペテロは小舟にあがって、網を陸に引き上げてみると、「網は百五十三匹の大きな魚でいっぱい」でした。(10)さらに「網は破れていなかった」のです。
ここでの「153」という数字や「網」が何を示しているのか様々な解釈がなされてきました。(「153」は世界中の人を象徴する数である、「網」は 教会を象徴している、等)
何よりも大切なことは、この後、復活された主イエスが宣教する弟子たちとともに聖霊によって働かれ、世界中の人々が救いの恵みにあずかり、「キリストのからだ」である教会に加えられるようになったという事実です。
結 論)復活の主イエスが三度、弟子たちを訪ねられ御姿を現わされたように、今も主は聖霊によって私たち一人ひとりを訪ねられ、聖書を通して語りかけてくださっています。(1、14)
弟子たちが主の御声に従って主の大きなみわざを経験したように、私たちは聖書のみことばに従い、主のみわざに期待して歩んでまいりましょう。
主が弟子たちのために食事を備えていてくださったように、今も主は宣教のわざにおいても、日常の生活の中でも私たちとともに生きてくださり、いのちと力を与えてくださり、必要なものを備えていてくださいます。
主イエスによって日々養われ生かされていることを感謝し、主を証ししつつ歩んでまいりましょう。