それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。酸いぶどう酒がいっぱい入った器がそこに置いてあったので、兵士たちは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝に付けて、イエスの口もとに差し出した。イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。 ヨハネの福音書19章28-30節 (p226)
序 論)主イエスは総督ピラトによって引き渡され(16)、ご自身で十字架を負って刑場(ゴルゴタ)へ向かわれました。(17)
主イエスのかかられた十字架の周りには様々な立場の人たちがいました(祭司長たち、ローマの兵士たち、主の弟子ある女性たち、十字架にかけられた二人の罪人、民衆)。主は彼らのため祈られ、言葉をかけられます。
十字架のそばで起こったことと主のみことばを通して示されることは…
本 論)
1.旧約聖書に預言されていた救い主
主イエスを十字架につけたローマの兵士たちは十字架に最も近いところにいたにも関わらず、主に心を向けませんでした。彼らは主の着物を自分のものにすることしか関心がなかったのです。
それをだれがもらうかを決めるため、十字架の近くでくじ引きをしていました。(23-24)これは詩篇22篇18節の言葉の成就でした。(p953)
彼らが自覚しない中で神様のご計画が進められ聖書の預言が成就されたのです。
このとき、神の御子が世の罪を背負って十字架で死なれることにより、神様の救いのみわざが成されようとしていました。
主に無関心な兵士たちの姿は、主イエスを信じる以前の私たちの姿と重なります。
彼らのため、そして主イエスについて何も知らないすべての人たちのためにも主は十字架で祈られ、ご自分のいのちさえも与えてくださったのです。
2.救いのみわざが成し遂げられた
主イエスは十字架の上での激しい痛みの中で、すぐそばにいた母マリアをいたわり御声をかけられます。(26)
そして、残していかれる母親のことを配慮して、弟子のヨハネに御声をかけられ、彼にマリアの今後のことを託されました。(27)
ヨハネがマリアを引き取ることによって、信仰による神の家族が始まりました。教会も神様を父とし、主イエスを長子とする神の家族です。 (ローマ人への手紙8章29節p310)
主イエスを信じて罪赦された人たちは神の家族であり兄弟姉妹とされるのです。
次の主のみことばは「わたしは渇く」(28)でした。これは詩篇22篇15節(p765)の言葉の成就でした。
これは肉体的渇きとともに、神様を求める霊的な渇きでもありました。御子イエス様が私たちの身代わりに父なる神様から見捨てられ、渇きを体験してくださいました。それゆえに私たちは主イエスによって聖霊をうちにいただき神様との交わりが回復され、いつまでも渇くことのない霊的な恵みにあずかれるのです。 (ヨハネの福音書4章14節p140)
主イエスは兵士たちが差し出した酸いぶどう酒を飲まれました。そして、「完了した」と言われました。(30a) (新共同訳聖書では「成し遂げられた」と訳され、文語訳聖書では「事畢(おわ)りぬ」と訳されている。)
28節には「イエスはすべてのことが完了したのを知ると…」と記されています。主の「完了した」とのみことばは地上での贖いのみわざをすべて成し遂げられたという勝利の宣言でした。
結 論)主イエスは、ご自分の霊を父なる神様にゆだねられました。(30b)
神の御子イエス様が私たちの身代わりに十字架で苦しみを受けられ、血を流してくださったので、すべての人が救われ罪赦される道が開かれました。
私たちは主イエスを神の御子、私の救い主と信じ、心に受け入れることによって救われるのです。
今日から受難週に入ります。この一週間、十字架の上の主の七つのみことば一つ一つを深く黙想いたしましょう。主の御受難と十字架の恵みをさらに覚え、神様に対する悔い改めと主への信仰を強めるとき、感謝のときとし、イースターを待ち望みましょう。
十字架の上の七つの言葉
①「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカの福音書23:34)
②「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書23:43)
③「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。」
(ヨハネ福音書19:26)。
「ごらんなさい。あなたの母です。」
(ヨハネ福音書19:27)。
④「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」 (マタイの福音書27:46)(マルコの福音書15:34)
⑤「わたしは渇く。」(ヨハネの福音書19:28)。
⑥「完了した。」(ヨハネの福音書19:30)
⑦「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」
(ルカの福音書23:46)