その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
ヨハネの福音書12章12、13節 (p208)
序 論)主イエスと弟子たちは、ベタニアからエルサレムに向かわれます。
週の初めの日(受難週の日曜日)、主はエルサレムに入城されました。
そのときに起こった出来事を通して示されることは…
本 論)
1.旧約聖書に預言されていた救い主
定められた受難の時が来て、主イエスはエルサレムに来られました。
祭りに来ていた大勢の群衆は、「なつめ椰子の枝を持って」主イエスをお迎えに出て行きました。(12-13)
このことは旧約聖書の預言の成就でもありました。
13節には詩篇118篇25-26節(p1059)の言葉が引用されています。
(「ホサナ」はへブル語で「お救いください」の意味であるが、転じて賛美の叫びの定型句となった
『聖書新改訳2017の脚注より』)
「主の御名によって来られる方」(13)はメシア(救い主)を意味する言葉です。
救い主であり王であるお方が来られる日の出来事についてゼカリヤが預言していました。(15)
(ゼカリヤ書9章9節p1621
「柔和な」と訳されている言葉は「へりくだった、貧し
い、卑賎(ひせん)な、惨めな」等の意味を含む)
「娘シオン」(15)はエルサレムとその民のことです。
主イエスはろばの子に乗ってエルサレムに入城されました。(14)
これはこの預言の言葉の成就でもありました。
軍馬ではなくろばの子に乗られることを通して、主はご自身が「平和の王」として来られたことを示されました。
(ゼカリヤ書9章10節p1621参照)
このようにイエス様は旧約聖書に預言されていた救い主としてエルサレムに来られたのです。
2.真の王として来られたお方
この時、主イエスがロバの子に乗ってエルサレムに来られたことの意味を弟子たちはまだ分かっていませんでした。(16)
ここでの「栄光を受けられた後」は、主イエスが十字架で死なれ、復活された後、という意味です。
主の復活の後、弟子たちがこの出来事(主のエルサレム入城)を思い出すまで、その意味が弟子たちにも正しく理解されていなかったのです。
主イエスがラザロをよみがえらせられたとき、主と一緒にいた群衆はそのしるしを目撃しました。
(ヨハネの福音書11章43-45節p206)
その後、彼らは主が成されたことを証しし続けていました。(17)
群衆がエルサレムに来られた主イエスを出迎えたのは、彼らがこの証しを聞いたからでした。(18)
主イエスを亡き者にしようと機会を伺っていたパリサイ人たちは群衆の様子を見て慨嘆しました。(19)
群衆の多くは、主イエスを偉大な民族的英雄だと考えました。彼こそイスラエルをローマの支配から解放してくれる軍事的な勝利のメシアであると期待しました。
しかし、このときから数日後、彼らにとってそれが全く期待はずれであったことが示されます。
主イエスは神から遣わされた真の救い主、平和の王として入城されたのです。
結 論)主イエスがエルサレムに入城されたことを記念してこの日は「棕櫚(しゅろ)の主日」と呼ばれるようになりました。
この週の金曜日、主イエスは十字架にかかられます。主はすべての人を罪から救い、永遠のいのちに生かす救い主としてこの地上に来てくださいました。そして、十字架と復活によって救いを成し遂げてくださったのです。
ろばの子が主イエスをお乗せして歩んだように、私たちも主イエスとともに信仰の道、いのちの道を歩んでまいりましょう。
(参考)
ヨハネの福音書12章13節「なつめ椰子の枝」
「しゅろの木の枝」(新改訳)、「しゅろの枝」(口語訳)
「なつめやしの枝」(新共同訳、協会共同訳)
英訳:palm branches (NIV)
ギリシヤ語原文のニュアンスを英語で表わすと
the palms of the palms
(当時、「なつめやしの小枝」を指す熟語だったのではという説がある。)
『ちいろば先生物語』(三浦綾子著)
榎本保郎牧師(1925-1977)