ヨハネの福音書12章1~11節

一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。…イエスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。…」
       ヨハネの福音書12章3、7節 (p207-208)

序 論)ヨルダン川の東、荒野に近い地方におられた主イエスと弟子たちは過越の祭りの六日前にベタニアに来られました。(11章54節)(1)
 主はマルタ、マリア、ラザロの家に滞在されます。
 夕食のときに起こった出来事を通して示されることは…

本 論)
1.主への信仰と献身
 マルタは夕食の準備をしていました。食事の席に主イエスがよみがえらせられたラザロもいました。(2)

 そのときマリアは高価なナルドの香油を惜しげもなく、主イエスの御足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐったのです。(3)
 香油の香りは家中に広がりました。
 この香油は「三百デナリ」(5)、およそ労働者の一年分の収入に相当します。
 十二弟子の一人、イスカリオテのユダがマリアの行為を非難します。(4-5)
    しかし、会計係であったユダ自身が金銭的な罪を犯していました。(6)
 貧しい人々に施しをすることは神様が願っておられる大切なことです。(申命記15章11節p343)
 しかし、このときマリアはそんなに高価なものを惜しみなく主にささげました。
 ではこのとき、なぜ彼女はそのことができたのでしょうか。
 一つには、死んでしまったラザロがよみがえった喜び、感謝を自分にとって一番大切なものをささげることで表したのです。

2.主の葬りへの備え
 もう一つの理由は、主イエスのみことばに示されています。主イエスは、集まっていた人々に「… マリアはわたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。」(7)と言われました。    (当時、遺体に没薬などを塗る習慣があった。)

 マリアはそれまでも主の足もとにひざまずき、みことばに熱心に聴き入っていました。                 (ルカの福音書10章39節p136)
 また弟ラザロの死に直面したとき、主の足もとにひれ伏し、嘆きました。
(ヨハネの福音書福音書11章32節p206)
 彼女はこれまでに主イエスの語られたことや主との交わりを通して、主の死を予感していたことでしょう。誰が知るよりも早く主の十字架の死を察知していました。
 彼女の香油注ぎは、主イエスに対する信仰と献身のしるしであり、感謝と愛の表れでした。
 主はマリアがご自分の葬りのために香油を取っておき、ここでささげてくれたことを喜ばれたのです。(7-8)
 過越の祭りのためにエルサレムに来ていたユダヤ人たちは主イエスがおられると聞いてベタニアにやって来ました。
 それはよみがえったラザロを見るためでもありました。 (9)
 祭司長たちは、多くのユダヤ人たちが主イエスのもとに行こうとする理由がラザロのよみがえりであることを知り、主だけでなくラザロのいのちをも奪おうと相談しました。(10-11)

結 論)主イエスが十字架と復活により救いを成し遂げられた後、福音は使徒たちによって全世界に伝えられていきました。
 マリアがここでしたことも福音書に記され、全世界に伝えられています。
                 (マタイの福音書26章13節p56)
 彼女が香油を注いだことは、彼女のできる限りのささげものでした。
 たとえ小さなものであっても、主の恵みとご愛に応答して感謝してささげるものを主は用いてくださり、ご自身の栄光を現わしてくださいます。
 主は私たちのつたない信仰と献身をも受け止め、生かして用いてくださるのです。
 マリアの信仰にならい、主との交わりを深め、ご愛と恵みに応答して、主を愛し従ってまいりましょう。

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