ヨハネの福音書11章45~57節

しかし、彼らのうちの一人で、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは何も分かっていない。
一人の人が民に代わって死んで、国民全体が滅びないですむほうが、自分たちにとって得策だということを、考えてもいない。」このことは、彼が自分から言ったのではなかった。彼はその年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。
           ヨハネの福音書11章49-52節 (p207)

序 論)ベタニアに着かれ、マルタとマリアに会われた主イエスはラザロをよみがえらせられました。(17-44)(第七のしるし)
 このしるしにより多くのユダヤ人が主を信じまし。 (45)
 しかし、祭司長とパリサイ人たちは、主を亡き者にしようと画策します。
 彼らの言動を通して示されることは…

本 論)
1.自分たちの特権を守ろうとする人々
 主のなさったことを聞いた祭司長とパリサイ人たちは「最高法院」を召集しました。(47)

 ユダヤ人指導者たちは、主イエスが民衆の人気を集めてそれが暴動に発展すること、そのためにローマ軍が介入して、自分たちの立場が危うくなることを恐れました。(48)
 彼らにとって、主イエスのみことばやみわざが正しいかどうかではなく、自分たちの宗教的・政治的・社会的特権が守られるかどうかが判断の基準でした。
 彼らはどこまでも「自分たちは正しい」と思い込んでいました。どんな明白なしるしを示されても彼らは頑なになるだけでした。
 会議の議長役を務めていたのは、大祭司カヤパでした。彼は一つの策を提案します。(49-50)
 「一人の人」(50)は主イエスを指しています。
 自分たちの利益を守り、国民全体が滅びを免れるためにも主のいのちを奪うほうがよいと言ったのです。

2.すべての人の身代わりとして 
 このカヤパのことばは、無意識でなされた真理の預言となりました。(51-52)    カヤパの提案は議会の承認を得ました。(53)

 主イエスがラザロをよみがえらせられたことは、ユダヤ当局者たちが主を亡き者にするという最終決定に導く大きな要因となったのです。
 主イエスが十字架にかかられる時が刻々と近づいて来ました。
 しかし、彼らはすぐに、その目的を果たすことはできませんでした。主イエスは弟子たちとともにエフライムという町に行かれ、そこに滞在されたからでした。(54) (エルサレムの北東約20㎞の地点にある)
 神様が定められた主が十字架にかかられる時は迫っていましたが、まだ来てはいなかったのです。
 「過越の祭り」が近づき、多くの巡礼者たちが、ぞくぞくと各地から上京していました。(55)
 その人々は、エルサレムの神殿に集まって、熱心に主イエスを捜しました。(56) 主がラザロをよみがえらせられた知らせはユダヤ国内に広く伝わっていたのです。
 宗教指導者たちは、エルサレムで主イエスを捕えようとしました。(57)
 それで巡礼のユダヤ人たちは、主イエスが祭りに来られるかどうかを、互いに語り合っていたのです。(56)

結 論)大祭司カヤパのことばは主イエスが「国民」(ユダヤの民)だけでなく、「散らされている神の子たち」(直接的には外地に離散しているユダヤ人の意味だが、福音書記者のヨハネは「異邦人」のことを暗示して記している)のためにも死なれることを預言していました。
 主イエスは、すべての人を罪による滅びから救うためにすべての人の身代わりとなって十字架にかかられたのです。(ヨハネの福音書3章16節p180)
 「一人の人」主イエスの十字架の死と復活によって、私たちは義とされ、永遠のいのちに生かされています。(ローマ人への手紙5章15-19節p305)
 このレントの期間、主の受難と十字架による救いの恵みをさらに覚え、イースターを待ち望みつつ過ごしましょう。

 (参考)
 新聖歌102 「主はいのちを」
  作詞者 フランシス・ハヴァガル(1836-1879)    彼女が22歳のとき、留学先のドイツのデュッセルドルフの美術館で一枚の絵を見た。シュタンバーグという画家の絵で、いばらの冠をかぶせられ十字架に架けられた主イエスを描いた作品だった。その絵の題が「エッケ・ホモ(見よ、この人を!)」だった。そして、その題の下にラテン語で「私はあなたのためにこのことをした。あなたは私のために何をしたか」と書かれていた。(「見よ、この人だ。」ヨハネの福音書19章5節p224)
彼女は、この絵と、この言葉を思い出して、この讃美歌を作ったと言われている。

 ニコラス・フォン・ツィンツェンドルフ(1700-1760)
                     ドイツ ドレスデン出身
        モラヴィア兄弟団監督

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