ヨハネの福音書11章28~44節

そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。 あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」
           ヨハネの福音書11章41-43節 (p206)

序 論)ベタニアに着かれ、マルタとのやりとりの後、主イエスは妹のマリアを呼ばれます。(28)
 マリアは主のもとへ行きました。(29-31)
 彼女や一緒に来た客人のユダヤ人たちの様子を見られた後、主が言われ、成されたことを通して示されることは…

本 論)
1.霊の憤りを覚え、涙を流された
 マリアは、マルタと同じことを言い、ラザロの死を悲しみ嘆きます。(32)(21節参照)
 マリアは主の御前に泣き伏しました。一緒に来たユダヤ人たちも、彼女に同情して泣きました。(33a)
 主イエスはそれをご覧になり、「霊の憤りを覚え、心を騒がせ」られました。(33b)
 主は人を悲しみと絶望に陥れる力を持つ死そのものに対して憤られたのです。
 主はラザロの墓に行こうとされます。人々は主をそこへ案内しました。(34)
 主は涙を流されました。(35)
    (この35節は、聖書の中で一番短い節。)
 それは悲しみの涙です。主イエスはご愛の深さゆえに、悲しみを表されました。主は、ラザロの死に涙されたのです。
 そのご様子を見た人々は感動を覚えます。(36)
 しかし、主に対して批判的な人たちもいました。(37)
 主は再び、心のうちに憤りを覚えられながら墓に来られます。(38a)

2.ラザロに御声をかけ、よみがえらされた 
 当時のユダヤの墓は、岩を掘った横穴で、入り口を石でふさいでありました。(38b)
 主イエスは「その石をとりのけなさい」と言われました。
 それを聞いたマルタは驚いて反対します。(39)
 このとき、彼女はまだ主イエスがしようとしておられることを理解していませんでした。
 主は彼女に、前に言われたみことばを思い起こさせるように語られます。(40)    (ヨハネの福音書11章4節p204)
 主が神の栄光を顕されるときが来たのです。
 石が取りのけられたとき、主イエスは目を上げて父なる神様に祈られました。(41-42)
 その御姿を見た人々は、主がいつも父なる神と一つであり、父なる神から御力を受けておられることを示されました。
 主は祈りを通しても、ご自分が父なる神様から遣わされた神の御子であり、ご自分を信じることは神を信じることにほかならないことを証しされたのです。
 主は祈り終えられると、「ラザロよ、出て来なさい」と権威ある御声で命じられました。(43)
 ラザロは、主イエスを信じる者が永遠のいのちを与えられる「しるし」として、死者の中からよみがえりました。(44)
 ラザロは、巻かれていた布や布切れをほどいてもらい健康なからだになって、家に帰りました。

結 論)主イエスは、ラザロをよみがえらせることを通して、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」(ヨハネの福音書11章25-26a節p205)とのみことばが真実であることを示されました。
 やがて、主はご自身の十字架の死と復活によって、ご自分がいのちの主であられることをはっきりとお示しになりました。
 このいのちの主であるイエス様を信じる者は永遠のいのちに生かされます。
 主を信じる者は、この地上の生涯を終えた後に永遠のいのちにあずかるのではありません。主を信じたそのときから主にある新しいいのちに生きる者とされるのです。
 主が墓の中にいたラザロに呼び掛けられたように、主は今も私たちにもご自分のもとに来て、信じる者となることを願って御声をかけておられます。
 「あなたはこのことを信じますか。」(26b)という主イエスの問いかけに対して、マルタにならって「主よ、信じます」(27)と応答し、主との交わりの中に生かされて歩みましょう。

 (参考)
   「「イエスは涙を流された」ということばは、聖書の中で最も短く、それでいて最も大きな聖句です。」
    『祈りによる力』E・M・バウンズ(18351-1919)
                  米国南部メソジスト派教会の牧師

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