ヨハネの福音書11章17~27節

イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」
          ヨハネの福音書11章25-26節 (p205)

 

序 論)ベタニアにいたマルタ、マリア、ラザロの兄姉は、主イエスと親しい間柄でした。(1)(18)
 主と弟子たちがヨルダン川の東側におられたとき、ラザロが病気であることが伝えられます。(3-4)
 それから二日後、ラザロの死を告げられた主イエスは弟子たちとベタニアに向かわれます。(14)(18)
 主イエスが到着されたとき、ラザロが埋葬されてすでに四日経っていました。(17)
 主イエスとラザロの姉、マルタとのやりとりと主のみことばを通して示されることは…

本 論)
1.ラザロのよみがえりを宣言される
 葬儀が行われ、大勢の人たちがマルタとマリアを慰めるために来ていました。(19)
 当時のユダヤの葬式は7日間続きました。
 主がベタニアに来られたとき、マルタは主を出迎えに行きました。マリアは家で座っていました。(20)
 マルタは主イエスにお出会いするなり、今まで心に留めていたことを一気に語ります。(21)
 マルタのことばには「主よ、なぜもっと早くここに来て下さらなかったのですか」という気持ちが込められています。
 それと共に、続く彼女のことばには主イエスがおられたら兄弟ラザロは必ず助かったのだという、主に対する信頼が表れています。(22)
 主イエスはマルタを励まし、ラザロのよみがえりを告げられます。(23)

2.主をよみがえりであり、いのちと信じる
 ところが、マルタはラザロがよみがえるのは「終わりの日」であると受け取っていました。(24)
 これは正統的ユダヤ教の信仰でした。マルタは終わりの日のよみがえりを信じていましたが、このときはまだ愛する者を失った大きな悲しみの中にありました。
 死の現実に彼女の心は支配されていたのです。
 主イエスはマルタの信仰を強め、さらに励まされるように「わたしはよみがえりです。いのちです」と語られました。(25)
 ラザロをよみがえらせると言われた主は、ご自身が「よみがえり」であり「いのち」であると宣言されたのです。
 主はマルタにそのことを信じることを求めておられました。
 さらに「わたしを信じる者は死んでも生きるのです」と仰いました。(25)
 主イエスを信じる者は地上の生涯を終えても、永遠のいのちに生かされるのです。
 そして、「また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」と語られます。(26a)
 地上の生涯の中で主イエスとお出会いし、主を信じる者はそのときから永遠のいのちに生かされているのです。
 それで主はこのように仰られたのです。
 主イエスはマルタに「このことを信じますか」と問われました。(26b)    彼女は、主イエスの語られたことをすべて理解できたわけではありませんでしたが、はっきりと主に信仰告白をしました。(27)

結 論)ヨハネの福音書の中で、主イエスに対する信仰を明確に告白したのはマルタただ一人です。
 この後、主イエスがラザロをよみがえらせれられたのは、ご自身がよみがえりであり、いのちであることを示され、すべての人がイエス様を神の御子、救い主と信じ、心に受け入れるようになさるためでした。
 人間は罪によって「死へと向かう存在」となってしまいました。(ローマ人への手紙5章12節p305)
 しかし、主イエスの十字架と復活によって罪赦され、永遠のいのちに生かされる者とされたのです。
             (ローマ人への手紙5章17節p305)
 死からいのちに移された恵みを覚え、主イエスを信じ、父なる神様、御子イエス様との交わりを深めつつ歩んでまいりましょう。

 (参考)
   『死に至る病』ゼーレン・キルケゴール
         (デンマークの思想家1813-1855)
 『罪と罰』ヒョードル・ドストエフスキー
                (ロシアの作家 1821-1881)

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