ヨハネの福音書10章31~42節

もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じてはなりません。しかし、行っているのなら、たとえわたしが信じられなくても、わたしのわざを信じなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしも父にいることを、あなたがたが知り、また深く理解するようになるためです。
      ヨハネの福音書10章37-38節 (p204)

序 論)宮きよめの祭り(「神殿奉献記念祭」新共同訳)が行
われていた冬の日(22)に、主イエスとユダヤ人(宗教指導
者たち)との間で言葉のやりとりがありました。その中で、
主はご自身が救い主であることを証しされました。
 しかし、主のみことばを聞いてもユダヤ人たちは主に怒
りを募らせます。
 主がさらに彼らに語られたことは…

本 論)
1.父なる神が世に遣わされたお方
 ユダヤ人たちは主イエスを石打ちにしようとしました。
 (31)
 主は彼らにその理由を問われます。(32)
 彼らの目には「わたしと父は一つです」(30)と言われる
主が神を冒瀆していると映ったのです。(31)
                     (ヨハネの福音書5章18節p185)
 主イエスは彼らが信じている旧約聖書の中に、地上の王
たちが「神々」と呼ばれている箇所があることを指摘され
ました。(33)
 ここでの「律法」は旧約聖書全体のことを指して言われて
います。
 ここで引用されている詩篇82篇6節(p1020)で
「神々」と呼びかけられているのは地上の王たちです。彼
らは人間であっても「神のことばを受けた」ことによって
そのように呼ばれました。(35) 王たちは神の言葉を受け、
それに従おうとしていました。
 この詩篇の言葉から見ても、多くの良いわざを成された
主イエスが神を父と呼び、ご自身を神の子であると言われ
たことをユダヤ人たちが冒瀆だと非難するのは不当なこと
でした。(36)
 主イエスは父なる神様が聖なる者として世に遣わされた
神の御子でした。

2.父なる神様が御子と共におられる 
 「父から出た多くの良いわざ」(32)と言われたように主
イエスは父なる神様からの御力によってそれらを成してお
おられました。
 主イエスが行われたみわざは、ご自身が父なる神様のも
とから来られたお方であり、神様が御子イエス様と共に
おられることを証ししていました。(38)
 そして、そのことをユダヤ人たちが知ることを願って主
は彼らを招かれました。
しかし、彼らはますます反発し、主を捕えようとしまし
た。(39)
 けれども、主イエスの「時」が来るまで、彼らは主を捕
えることも亡き者にすることもできませんでした。
その後、主イエスはエルサレムから「ヨルダンの川向こ
う」(40)に行かれました。
 そこはかつて洗礼者ヨハネが集まって来る人々に悔い改
めのバプテスマ(洗礼)を授けていた場所でした。
 多くの人々が主イエスのもとに来て、主のみことばを
聞き、主の行われたしるしを見ました。
 それらを見聞きした彼らは、洗礼者ヨハネの主イエスに
ついての証しが真実であることを知りました。(41)
              (ヨハネの福音書1章26-31節p176)
 彼らは主を信じました。(42)彼らの姿は、エルサレムの
ユダヤ人たち(宗教指導者たち)の姿と全く対照的でした。

結 論) 「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのた
めにいのちを捨てます」(11)と言われた主イエスは、この
みことばの通り、ご自分のいのちを十字架で捨てられまし
た。
 主は十字架で死なれましたが、復活されました。そして
昇天され、神の右に着座されました。
 今も聖霊によって、主イエスは私たちと共におられます。
そして、良い羊飼いとして私たち一人ひとりの人生の導き
手となってくださっています。
                     (詩篇23篇1-6節p954)
 主は「聖書が廃棄されることはあり得ないのだから」
(35)とも言われました。主のみことばは消え去ることはあ
りません。(マタイの福音書24章35節p52)
 聖書(旧約聖書、新約聖書)が神の御子、救い主と証しす
る主イエスを信じ、共に歩んでまいりましょう。

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