ヨハネの福音書10章11~21節

私は良い牧者です。私は私の者を知っており、わたしの
ものは、わたしを知っています。ちょうど、父がわたしを
知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。ま
た、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。」
            ヨハネ10章14-15節 (p202)

序 論)旧約聖書では、神様と人間との関係を牧者(羊飼い)
と羊にたとえて語られている箇所があります。
 この章でイエス様はご自分を良い羊飼いにたとえて語ら
れました。この箇所で示されることは…

本 論)
1.この囲いに属さない羊たちのためにも
 盗人や強盗にたとえられているパリサイ人たちは、羊た
ち(イスラエルの民)を養わず、かえって彼らのいのちを奪
っていました。(8)
 しかし、良い羊飼いである主イエスは、羊たちのために
いのちを捨てる、と言われます。(11)
 また宗教指導者たちのことを「雇人」にたとえられまし
た。(12-13) 彼らは羊のことを心にかけていませんでした。
 主イエスは「わたしのもの」と言われる弟子たちのこと
を知っておられます。(14)
 パリサイ人たちは、主イエスが本当はどのようなお方か
を知ることはできませんでした。
 しかし、主を信じ、従う人たち(弟子たち)は、主が良い
羊飼いであることを知っていました。
 それは父なる神様が御子イエス様を知っておられ、御子
が神様を知っておられるのと同じだ、と言われます。(15)
 主イエスは父なる神様とご自身の交わり、信頼関係を
ご自身と弟子たちの間にも築こうとしておられるのです。
 さらに主は語られます。(16) 「この囲いに属さないほ
かの羊たち」は、まだ主イエスのことを知らない人たち、
そして、ユダヤの民以外の民たち(異邦人)のことを意味し
ていました。
 主イエスは、彼らをも導き、救おうとしておられたので
す。

2.ご自分からいのちを捨てられる
 「この囲いに属さない羊たちのため」(16)にも、主イエス
はご自分のいのちを捨てようとしておられました。それは、
父なる神がご自身を愛しておられること、ご自身を通し
てすべての人を罪から救おうとしておられることを知って
おられたからです。(17)
 宗教指導者たちはすでに主イエスを亡きものにしようと
いう思いを抱いていました。
           (ヨハネの福音書5章18節p185)
 しかし、主はご自分からいのちを捨てられると言われ
ます。(18ab)
 主がご自分のいのちを捨てられるのもそれを再び得られ
るのも、ご自身の権威によるのです。そして、そのことは
父なる神様からの命令であると語られました。(18cd)
 主イエスが言われる「いのちを捨てる」とは、十字架に
かかられ、死なれることです。
 「それを再び得る」とは、その後、復活されることです。
主イエスを十字架に引き渡され、復活させられることは
父なる神様のご計画でした。
 主イエスは父なる神を愛し、御心に従ってご自分のいの
ちを捨てようとしておられたのです。
 主イエスのみことばを聞いた宗教指導者たちの間で主に
対する意見の分裂が生じました。(19)
 彼らの多くは、主を悪霊に取りつかれた者と見ました。
しかし、他の者は、主のみことばは神からのものであり見
えない人の目を開けるというみわざは神から送られた特別
な人でなければできない、と言いました。(20-21)
 彼らの意見の分裂はこの後も続きます。

結 論) 主イエスはここで語られた通り、父なる神様の御
心に従われ十字架で死なれますが、神様は主を復活させら
れました。
 主の復活を目撃し、聖霊によって力が与えられた弟子た
ちは、福音を宣べ伝え、主を証ししました。
 主のみことばの通り、「わたしの声」(福音)を聞き、多
くの人たちが主を信じ、従い、福音が世界中に広がってい
きました。
 今も、聖霊により主イエスは、聖書を通してみことばの
種を蒔き続け、私たち一人ひとりを導いておられます。
 今日、様々な声が世に満ちています。その中でも、毎日
聖書を読み、主のみことばに耳を傾け、父なる神様、御子
イエス様との交わりを持ちながら歩みましょう。
 そして、良い羊飼いである主の御声に聞き従ってまいり
ましょう。

 (参考)
     由木 康(1896-1985)
       日本キリスト教団 東中野教会牧師
   讃美歌の翻訳や作詞をした。
  ブレーズ・パスカル(1623-1662)の
  『パンセ』を翻訳。

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