テサロニケ人への手紙第1 5章12~24節 

黒磯教会 創立70周年記念聖会礼拝
聖書箇所: Ⅰテサロニケ5章12~24節
説 教 題: 「命と祝福に満ちた共同体」
説 教 者:         川崎 豊 師

 序 論) 黒磯教会の皆様とご一緒に礼拝できます幸いを主に感謝申し上げます。辻林先生から今回のテーマは「教会と聖化」ですから、あとはテキストも説教題も自由に選んでくださいと言うことでした。先生はかなり苦労された方だと思いました。苦労した先生に親しみを感じます。
私も私なりに苦難の中を通させられたからです。今日の題は「命と祝福に満ちた共同体」とさせて頂きました。

本 論) 課題と共に生きる教会の祝福 
 ジョン・ウエスレーは、きよめられた人の特色として「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝」している人です、と言いました。簡単なことではありませんが素晴らしく希望を与えてくれる言葉です。テサロニケの教会はパウロたちの宣教によって生まれた教会です。
パウロはこのテサロニケの教会のことを2章19節で「わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか」(新共同訳)と絶賛しています。このように言われる教会を形成したいと牧師なら思うのではないでしょうか。しかしこの手紙を読むとわかりますが、絶賛されていても問題は色々あったことが分かります。即ち命に溢れた教会とは問題のない教会の事ではなく、問題を抱えながらも祈りと主イエスの御言葉に希望を置いて宣教の業に進む教会を指しているのです。

本 論) ❷いつも喜び、絶えず祈り、感謝する教会の祝福
 教会は小さな社会とも言えます。主の御言葉を土台として進み教会の使命である宣教の業に奉仕します。奉仕する中で色々な人間関係の軋轢を経験します。熱心に奉仕する人もいれば、無理しないで奉仕する人もいます。パウロはコリント書で「教会はキリストが頭で、お互いは肢体です」と言いました。弱く見える肢体ほど大切だとも言いました。
そして5章16節以下で、神に喜ばれる最も大切な生き方が何であるかを述べて終わっています。「いつも喜び、絶えず祈り、全てのことを感謝する」生活です。この三つのことがらはキリストによって救われた者のキリストへの応答の原動力と言えます。神があなたと共にいて下さるという信仰に立つならこのような生き方は可能なのです。

本 論) 命と祝福に満ちた教会の祝福
 最後にパウロは23節で「平和の神御自身があなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように」(新共同訳)と祈っています。
 肉体的には健康であっても心を病む方がおられます。人を信頼できない。学校に行けない。社会に出て人と一緒に仕事が出来ない。人と良い関係を保てない等です。しかし聖書は解決の根源は「神との平和」にあることを示しています。23節の冒頭に「平和の神御自身が」とあります。罪赦され、主イエスが私の心に住んでくださっていることに限りない喜びと平安と希望を見出すとき、私たちの身体も心も健康にされていくのです。

まとめ) ある方が述べています。「沈黙の果実は祈りです。祈りの果実は信仰です。信仰の果実は愛です。愛の果実は奉仕です。奉仕の果実は平和です」と。特に「愛の果実は奉仕です」の言葉が心に響いて来ます。きよめも愛に欠けると裁きに傾きます。きよめられるということは愛の心に満たされることです。愛は主と共に生きることによって私たちの心に注がれます。主と共に生きるとは、主に祈りつつ生きると言うことでもあります。主の愛は祈りに始まり、愛の行動で形となります。愛は極めて行動的です。愛は主が喜ばれることは何かを第一に考えます。愛はこの人とどのように関わる事がこの人を生かすことになるかを第一に考えます。そして共同体の一員とされた私たちは、どうしたら教会が祝福され、その使命を果たすことができるかを常に第一に考えるのではないでしょうか。そのような私にしてくださいと祈りましょう。祈る者は愛の人、感謝に生きる人にされます。感謝していませんと家族は救われません。私は母の笑顔でイエス様はすごいと思ったのですから。

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