ピラトはイエスを釈放しようと思って、再び彼らに呼びか
けた。しかし彼らは、「十字架だ。十字架につけろ」と叫び
続けた。ルカの福音書23章20-21節(p169)
神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。
Ⅱコリント人への手紙5章21節(p.361)
序 論)22章では、ユダヤ人の宗教議会による裁判が行わ
れ、主イエスに対して有罪の判決が下されたことが記され
ています。
しかし、ローマ帝国の支配下にあったユダヤにおいては
刑を行うためにはローマの総督ピラトの判決が必要でした。
今回の箇所でピラト、宗教指導者たち、民衆の言動を
通して示されることは…
1.総督ピラトと民衆
宗教指導者たちは、主イエスの命を奪うため全く根拠の
ない理由でピラトに訴えました。(2、4節)
(ピラトは紀元26年頃から36年まで、ローマから総督
としてユダヤ統治のために派遣されていました。)
ピラトは、「この人には、訴える理由が何も見つからな
い」(4)と言って、主イエスをガリラヤの領主ヘロデに送り
ます。ヘロデは主が何も答えられないので嘲り、送り返し
ます。(8-12)ヘロデも主イエスに罪を見出すことはでき
ませんでした。
ユダヤ人の指導者たちは主イエスを「民衆を惑わす者」
(14)と呼びましたが、実際に民衆を惑わしていたのは彼ら
の方でした。
民衆は神の民として、神様の遣わされた救い主イエス様
を受け入れるべきだったのに、指導者たちはそれを妨げ、
彼らを間違った道に導いてしまいました。
またピラトも、宗教指導者たちや民衆に妥協してしまい
主イエスを無罪としながらも、むち打ってから釈放するこ
とを提案しました。(4,15-16)
2.バラバの身代わりとして
過越の祭りごとにピラトはひとりの囚人に恩赦を与える
ことになっていました。(p169欄外注の17節参照)
(マタイの福音書27章15節p60)
ピラトは、主イエスを釈放しようと思って囚人のバラバ
の名前を出します。彼はローマに対して暴動を起こした者
でした。(19)(マタイの福音書27章16-17節)
しかし、民衆はピラトの提案を受け入れず、バラバの釈
放を求めました。そればかりでなく、主イエスの十字架刑
を要求しました。(18,20-23)
ピラトは、自分の任地で暴動が起こることを避けるため、
民衆の要求に屈してしまいました。(24)
公正なさばきをすべき総督が、自分の保身のために正義
を曲げてしまったのです。そして、主イエスを彼らに
引き渡してしまいました。(25)
祭司長たちや長老たち(宗教指導者たち)のねたみ、民衆
の無知、ピラトが裁判の公正さを守らなかったこと、これ
らの罪が重なり、主イエスを十字架につけることになった
のです。
バラバも当時、よく使われていたイエスという名前でし
た。(マタイの福音書27章16節p60)
バラバ・イエスは死刑囚であり、助かる希望がまったく
ありませんでした。しかし、自分と同じ名前の方
(キリスト・イエス)が突然にあらわれ、自分に代わって死
なれたのです。
それは、バラバが自分の罪を償ったわけでもなく、心を
入れ替えたことへの報いでもありません。彼は何も知らず
何もしないで、赦され、解放されました。
これは、人が救われるのは、その行いによるのではなく
一方的な神様の恵みによることをあらわしています。
結 論)宗教指導者たち、民衆、総督ピラト、バラバ、これ
らの人たちはすべての人の代表であり、彼らの姿は私たち
の罪のあらわれでもあるのです。
私たちの負うべき罪に対する報い(罰)を、主イエスは代
わりに負って、十字架の上で死なれました。
「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされまし
た。」(Ⅱコリント人への手紙5章21節(p.361))
主イエスの十字架がこの私のための身代わりの死であっ
たと信じ、心に受け入れるとき、罪赦され心新たにされて
歩むことができるのです。
主の十字架によって、救われる道が開かれました。私た
ちは罪赦されたことを喜び、ただ感謝してこの恵みを受け
取りましょう。
(参考)
絵画「この人を見よ」(アントニオ・チゼリ)
(スイス系イタリヤ人1821-1891)
小説『バラバ』(ラーゲルクヴィスト)
(スウェーデン出身の作家1891-1974)