主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「今日、
鶏が鳴く前にあなたは三度わたしを知らないと言います」と
言われた主のことばを思い出した。そして、外に出て行って、
激しく泣いた。
ルカの福音書22章61-62節 (p.168)
序 論)主イエスが十字架にかかられる前日の夜、主は弟子
たちと「二階の大広間」で食事をされました。(12-14)
彼らはまだ主イエスが成そうとしておられることがわか
らず、自分たちの中で誰が一番偉いのか議論していました。
(24)
この後の、主イエスと弟子のペテロとのやり取り、ペテ
ロに起こった出来事を通して示されることは…
1.信仰がなくならないように祈られた
主イエスはペテロに語られます。(31) サタンは主を裏
切ったユダだけでなく、他の弟子たちにも働きかけていま
した。「麦のようにふるいにかける」は大きな試練によっ
て信仰がなくなるほどに揺さぶられることを意味していま
す。
主イエスはペテロのために「信仰がなくならないように」
とりなし、祈られました。(32) そして、「立ち直ったら
…」と試練の後のことも予告されました。これは弱いペテ
ロへの信頼を込めた主イエスの愛の励ましでした。
しかし、このときペテロはまだ自分の弱さに気づいてい
ませんでした。(33)
主はペテロの裏切りを予告されます。(34)
「今日、鶏が鳴くまでに」は「夜が明ける前に」という
意味です。
主イエスは、ペテロだけでなく後にご自分を裏切り、逃
げ去ってしまう弟子たちのためにも、とりなし祈られました。
2. 主イエスが立ち直らせてくださる
最後の晩餐の後、主イエスは弟子たちとオリーブ山に行
かれ祈られました。(39-46節p167)
その後、主イエスはユダに連れられてきた祭司長たちに
捕えられます。(47-53)
主イエスは大祭司の家に連れて行かれます。その後を、
ペテロは「遠く離れてついて」行きました。(54)
大祭司の家の中庭に入り込んだペテロに、まず召使いの
女が声をかけました。彼は、自分はイエス様のことを知ら
ない、と主とのつながりを否定しました。(55-57)
その後も、男たちがペテロに言葉を投げかけますが、
彼はそのことを否認しました。(58-60a)
そのとき鶏が鳴きました。(60b)
彼は恐れにとらわれ、何とかこの場をごまかして乗り切
ろうとしました。
主イエスは振り向き、ペテロを見つめられました。彼は
主のみことばを思い出し、激しく泣きました。(61-62)
このときのペテロの姿に彼の後悔と自責の念が表れてい
ます。彼は自分が思っていたような強い人間ではありませ
んでした。人の目を恐れ、知らぬ間に大切なお方から心が
遠く離れてしまうような弱く頼りない者でした。
しかし、ペテロを見つめられた主イエスのまなざしは、
彼を責めるのでもなく、ありのままの彼をいつくしまれる
まなざしだったことでしょう。
そして、主のまなざしはさらに先のペテロの姿を見てお
られたのです。挫折するペテロの信仰がなくならないよう
に祈られ、そこから立ち直って、兄弟たちを力づけている
ペテロの姿を見ておられたのです。
後にペテロは自分の弱さ、罪深さを認める中で、十字架
で死なれ、復活された主イエスにお出会いし、悔い改めに
導かれました。
結 論)主イエスは、私たちの頼りなく、罪ある姿もすべて
ご存じです。今も私たち一人ひとりのため、とりなし祈って
おられます。 (ローマ人への手紙8章34節p311)
私たちもときには主イエスを悲しませることをしてしま
うかもしれません。でも一度失敗したら終わりではありま
せん。主イエスはペテロや弟子たちを見つめられた愛のま
なざしで私たちをも見つめておられます。そのままで主の
御許へ行き、傷んだ心を癒していただきましょう。私たち
に大きな期待をお持ちくださる主は、私たちを日々、造り
変えてくださいます。
主イエスは今も私たちを見ていてくださっています。
主のご愛と赦しのまなざしの中で歩みましょう。
(参考)
ルカの福音書22章60節の「見つめる」と同じ原語が
使われている聖書箇所(一部)。
「空の鳥を見なさい。」(マタイの福音書6章26節p11)
「イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。」
(マルコによる福音書10章21節p88)