「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。 そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。 あなたがたは、これらの事の証人である。 見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい。」 ルカ24章46-49節 (p.134)
序 論)
復活されたイエス様にお出会いしたクレオパと もう一人の弟子は、そのことを他の弟子たちに知らせるためにエルサレムへ急ぎました。十一弟子と仲間たちに対してイエス様が成されたことは…
1.栄光のからだを持っておられることを示された
家の中にいた弟子たちに復活されたイエス様は御姿を現されました。彼らは恐れ、疑いました(37~38)。そして イエス様が「霊」だと思いました。しかし、そうではなかったのです。
イエス様は十字架で受けられた御傷の残る手や足を見せられ、「さわって見なさい。…」(39)と言われ、ご自身の 復活が霊ではなく、肉体の復活であることを示されました。 しかし、それは、地上の人間の体ではなく、「栄光のからだ」でした。
イエス様が焼いた魚を食べられた(42-43)のは、体の復活であることを示すためであり、かつてのご自身との食卓の交わりを思い起こさせ、彼らの心の目を開かせるためでした。こうして、イエス様は弟子たちにご自身の復活が確かであることを示されました。
「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。」 (コリント人への第一の手紙15章20節 p.274)
この後、イエス様は天の父なる神様のもとに昇られますが、もう一度、この地上に来て下さいます。そのとき、 イエス様は、私たちもよみがえらせて下さり、栄光のからだを与えて下さるのです。
2.聖霊が与えられるまでエルサレムにとどまるように
続いてイエス様は、エマオ途上でクレオパたちに聖書を 説き明かされたように、弟子たちに聖書全体(旧約聖書全 体)が主(キリスト)を証ししていることを語られました。 (26-27節、44-46節)(「モーセの律法と預言書と詩篇」 (44)は、旧約聖書全体を意味している。) 「罪のゆるしを得させる悔い改め」(47)、とはイエス様の十字架と復活の福音を人々が聞き、イエス様を信じ、悔い改めて神様に立ち返ることです。
それがエルサレムから始まり、その後、福音が全世界に宣べ伝えられるのです(48)。 弟子たちは、イエス・キリストの言行の証人、主の十字架と復活の証人なのです。 「わたしの父が約束されたもの」(49)は「聖霊」であり、 「上からの力」は聖霊の力です。父なる神様が、聖霊を与えて下さるまで、あなたがたは都(エルサレム)にとどまっていなさい、とイエス様は弟子たちに言われました。
この言葉通り、この後、ペンテコステのとき、祈り続け待ち望んだ弟子たちに聖霊が与えられます。 (使徒行伝2章1-4節p.180) 今、イエス様を信じる人には誰でも聖霊が与えられます。 そして聖霊によって、イエス様が私たちの内に生きて下さるのです。
結 論)
この後、ベタニアに行かれたイエス様は両手をあげて弟子たちを祝福されながら、彼らを離れ、天に昇っていかれました。(51) 彼らは、イエス様を礼拝し、大いに喜んでエルサレムに戻ります。そして「宮」(神殿)で神様を賛美しました。(50) 弟子たちは、イエス様こそ天の父なる神様がどのような お方であるかを示された方であり、復活されて共に歩んで下さるお方であることを知りました。それゆえに大きな喜びに満たされたのです。
現在も同じです。私のためにイエス様は十字架にかかり 復活して下さったことを知るとき、悲しみは喜びに、失望は希望に変えられます。
復活されたイエス様は私たちと共に今日も歩んで下さっているのです。私たちもイエス様に心を向け、イエス様を 主として歩み続けましょう。
ルカによる福音書24章33~53節
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