ルカによる福音書19章41~48節

イエスはこれらのことを言ったのち、先頭に立ち、エルサレムへ上って行かれた。もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら…。… それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである。
  ルカ19章41、42、44節 (p.123)

序 論)ルカによる福音書では9章51節(p.103)から始まった、エルサレムに向かっての「大旅行」でしたが、いよいよエルサレムの都が見えてきました(41)。
そのときのイエス様のご様子とその後、神殿に入られたときになされたことは…

本 論)1 エルサレムの滅びを思い、泣かれる
  エルサレムの都全体が最もよく見える場所から見つめつつイエス様は涙を流されました。(41) イエス様は、エルサレムの人々が「平和をもたらす道」を知らないことを嘆いておられます(42-44)。   彼らは平和に至ることができず、やがて恐ろしい破局を迎えます。攻め寄せる敵に包囲され、ついに陥落して徹底的に破壊され、多くの人々の命が奪われてしまいます(43-44)。このことはAD70年に現実のこととなりました。
イエス様はそのことを見越して、彼らのために泣かれました。けれどもイエス様の嘆き、悲しみは、エルサレムの人々に訪れる悲劇を思ってのことだけではありませんでした。それは彼らが平和への道を知らないことであり、その根本にあるのは、「神のおとずれの時」を知らなかったからでした。(「神の訪れてくださる時」新共同訳)
神の御子イエス様が地上に誕生され、福音を宣べ伝え、エルサレムに来られたことは、神様がエルサレムの人々を訪ねて来られたときでもありました。このお方の訪れは、世界史上唯一の地上に来られた神の訪れの時でした。神様の願いは、彼らがイエス様を神の御子、救い主として信じ、受け入れることでした。しかし、当時の宗教指導者たちは、イエス様ご自身の訪れが、神の訪れの時であり、神の救いのみわざが成されるということに目が開けなかったのです。それどころか、この後、御子イエス様を十字架に追いやってしまいました。この出来事の背後に父なる神様の大きな救いのご計画がありました。十字架にかかられて死んでくださったイエス様を父なる神様が復活させられました。そして、天に昇られたイエス様のもとから聖霊が遣わされて地上に教会が誕生しました。今、私たちは、教会へ、イエス様のもとへと招かれています。イエス・キリストによって実現したこれらの救いのみわざ全体を通して、神様は、今も私たちを訪れ、働きかけ、語りかけ、私たちと交わりを結ぼうとしておられます。

2 宮(神殿)をきよめられる
イエス様は、神殿の境内に入られます。そこで「商売人たちを追い出しはじめ」(45)られました。マルコ福音書は「両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし」 (マルコ11章15節 p.)と語ります。神殿の宗教指導者たちは、神殿でささげられる献金の両替人や鳩を売る商売人を通して大きな利益を得ていました。イエス様はその不正を正し、「宮きよめ」をなされることによって神殿を本来の姿に戻そうとされたのです。そのときに言われた「『わが家は祈の家であるべきだ』と書いてある…」(46)は、イザヤ書56章7節(p.1026)の言葉です。「わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」神殿は、ユダヤ人だけでなく、異邦人も礼拝し、祈りをささげる「祈りの家」であるべきでした。ところが神殿の一番外側にある「異邦人の庭」で、両替人や鳩を売る者たちが商売をしていました。しかし、そこは異邦人が神様を礼拝するための場所です。そこを、神の民であると自負していたユダヤ人たちが売り買いをし、異邦人たちの礼拝と祈りが妨げられていました。そのことにもイエス様は怒られたのです。
エルサレムの宗教指導者たちはイエス様の警告を聞き入れませんでした。悔い改めて真の神様に立ち返ることをせず、真実な礼拝をささげようともしませんでした。本来の姿を失ってしまった神殿は、この後AD70年にローマ軍によって破壊されてしまいます。  イエス様の復活と昇天の後、イエス様の弟子たちは、主イエスの御名を中心として集まり、主イエスを通して真の神様に礼拝をささげるようになりました。
今は、キリスト者の集まり、教会が「すべての民の祈りの家」です。私たちは、共に集まったときも、一人で神様の御前にいるときも、神様を礼拝し、祈りをささげます。

結 論) イエス様は、私たちの礼拝、祈り、信仰が、真の神様と真実に向き合うものになっていないとき、そのことをお怒りになり、悲しまれます。それは、私たちのことを本当に愛していて下さっているからです。それゆえにイエス様は、その私たちの罪を背負って十字架にかかって死なれ、私たちの罪を赦して下さったのです。イエス様はこの赦しの恵みをもって今も私たちを訪れて下さっています。
 その恵みとご愛に応答し、私たちもイエス様を愛し、主イエスに似る者、神と隣人を愛する者として、真実の平和の道を歩ませていただきましょう。

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