ルカによる福音書19章11~27節

「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。 そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい。』…」

            ルカ19章12-13節 (p.122)

 

序 論)イエス様は、弟子たちと共にエルサレムに近づかれました。主イエスがエルサレムに入城されたら、すぐにこの地上に神の国が実現すると誤解していた人々がいました。イエス様は彼らに「ミナのたとえ」を語られます。このたとえを通して示されることは…

本 論)1.主は父なる神のもとに帰られ、地上にもう一度来られる
  このたとえは、この時から約30年前に実際に起こった事件をもとにイエス様が話されたのではないか、と言われています。 ヘロデ大王の死後、その長子アルケラオス(ある身分の高い人)は自分が王になることを認めてもらうためにローマ(遠い所)に赴きました。しかし地方の人々(ユダヤ人たち)は、彼に王になって欲しくないと思っていたので、彼の後を追うようにローマに使節を派遣し、アルケラオスが王にならないように懇願しました。(マタイ2章22節 p.3に「アケラオ」と言う人物の名が記されている)(ヘロデス・アルケラオス BC22~AD18年、在位BC4~AD6年)
  イエス様は、この出来事をここで用いて、ご自分の話しとして語り直しておられます。まもなくイエス様(ある身分の高い人、主人)は、エルサレムにおける十字架の死と復活を経て天に昇り、父なる神様のみもとに帰られます。「遠い国に旅立つ」(12)はそのことを意味しています。
イエス様が地上からおられなくなるのは、真の王の位を父なる神から受けて再び地上に帰って来られるためです。そして、主イエスは、必ず戻って来られるのです。王の位を受けるため旅立とうとしている主人が、十人の僕たちに、自分が旅に出て不在である間になすべきことを命じました(13)。その命令を受けた僕たちはどうしたでしょうか。それが、イエス・キリストを信じる信仰者、キリスト者の姿を示しています。
私たちは今、イエス様が昇天され父なる神のもとに帰られてから、その主ご自身が世の終わりにもう一度地上に来られる再臨までの間の時を生きています。その中で、私たちはイエス様が真の王として帰って来られることを信じて待ち望みます。主イエスの良き僕として、イエス様に命じられたことを行いつつ歩みます。

2. 私たちは神様から与えられた賜物を活用する
主人から託された「1ミナ」(13)は、何を意味しているのでしょう。命、信仰、福音、神の恵み、主イエスによる救いの恵み、聖霊…、様々に受け止めることができます。でもそれらは、父なる神様とイエス様によって私たちに平等に与えられたもの、託されたものです。私たち一人ひとりがその1ミナをどのように用い、生かすかが問われています。帰って来た主人に問われた一人目、二人目の僕は、1ミナを生かして用いました。そして主人にほめられます(16- 19)。もうけた金額(結果)を評価されたのではなくその僕たちが「小さな事に忠実であったから」(17)でした。
ところが三人目の僕は、主人から預けられた1ミナを用いずにふくさ(布)に包んでしまっておいたのです(20)。彼は主人に対して良い思いを持っていませんでした。(21) そして彼はさばきの宣告を受けます(22-26)。先の二人の僕は、イエス様を信じ、救いの恵みを喜び感謝して、歩んだ人を示しています。前に出てきた「エリコの町の外に座っていた、目の不自由な物乞い」は、イエス様と出会い、その救いを真剣に求めました。(18章35-43節) 取税人ザアカイは、イエス様の「急いで降りてきなさい。…」の呼びかけに応じ、喜んでお迎えしました。(19章1-10節) これらの人々は、自分に与えられた1ミナをかけがえのない大切な価値あるものとしてそれを生かしたのです。彼らの信仰は豊かな救いの実りを生みました。
三人目の僕は、イエス様に心を向けず、呼びかけにも応答しなかった人を示しています。そして「この人が王になるのをわれわれは望んでいない」と言った本国の住民は、イエス様を救い主として受け入れなかったユダヤの宗教指導者たちを示しています。(14) 彼らは、ユダヤの国を代表する人たちでした。イエス様を受け入れなかったことによって、後に彼らはさばきを受けることになります。(AD70年にローマ帝国の侵攻によって、ユダヤの国は滅びてしまった。)

結 論) 宗教指導者たちは、イエス様を信じず、十字架の死にまで追いやりました。しかし、父なる神様は、そのことをも救いのご計画の中で用いられ、主イエスの十字架の死によって、私たちの罪を赦し、主イエスを復活させられて私たちに永遠の命の道を開いて下さいました。
今、天の父なる神様の右に座しておられるイエス様を(ローマ人への手紙8章34節 p.244)、私たちは肉眼では見ることはできませんが、主イエスが私たちの内に与えて下さっている聖霊のお働きによって、主は、世の終わりまでいつも私たちと共にいて下さいます。
私たちは、イエス様が天から地上にもう一度来て下さり、そのご支配を現わして下さることを待ち望みます。イエス様のご再臨によって神の国が完成することを信じて、その時を待ち望みつつ、主イエスの僕として生きていく、それがこの世を生きる私たちキリスト者の信仰です。
たとえ私たちの出来ることがほんのわずかな小さなことであっても、神様が私たちに託して下さっているもの、神の恵みをいただいていることを感謝し、喜びをもって、主に忠実に仕える歩みをなしてまいりましょう。

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