イザヤ書9章1~7節

「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、 ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。」 (イザヤ書9章6節 p.954)

序 論)イスラエルの国はソロモン王の後に、北王国イスラエルと南王国ユダに分かれました(BC930年頃)。以来周辺の大国からの圧迫に苦しめられ、もともと四国ほどの大きさしかない国が、さらに領土を失っていきます。ついに北イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、住民は捕らえ移されてしまいました(BC723年頃)。それゆえ「異邦人のガリラヤ」(1)と呼ばれます。神の民が光を失って暗闇の中にいました。その頃、預言者イザヤは、救い主の到来を語ります。

本 論)1、闇の中に光を見る
かつてイザヤは、希望の光が見えないことに不安や苛立ちを感じ、嘆きの声を上げたことがありました。「もし地をのぞむならば、見よ、暗きと悩みとがあり、光は雲によって暗くなる。」(イザヤ5章30節 p.950) そして8章22節でも暗闇しか見えません。(p.953)
しかし、9章に入ると、預言者を取り巻く状況は変わりませんが、彼の語るメッセージは一変します。神様との交わりを通して、霊的洞察は深められ、彼は光を見ました。
イザヤは「異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。」(1)と預言しました。これは、やがて闇の支配から解放されるとの宣言です。神の救いの光は、暗黒の最も深い所から輝き始めました。
イエス様は、荒野で悪魔の試みにあわれ、それに勝利された後、一度、ガリラヤに退かれました。それは福音宣教をガリラヤから始められるためでした。(マタイ4章12-17節 p.4)  福音書記者のマタイはこれをイザヤの預言の成就だと語ります。
復活された後も、弟子たちにご自分はガリラヤに先に行ってあなたがたを待つと言われます。「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう。」(マタイ26章32節p.44、28章7、10節 p.50)
主イエスがガリラヤの地を大切にされたように、神様は苦しんでいる人々、虐げられている人々をお忘れになることなく,顧みて下さっています。
今の世も、闇のように思えたとしても、私たちが神様とイエス様に心を向け、主のもとに行き、主を求めて行くとき、希望と命の光を見出すことができるのです。

2、救い主のみ姿を見る
長く続く略奪のため、収穫の喜びさえ忘れられていた者たちに刈り入れの喜びが来ると語ります。(3節)4節、5節、6節の冒頭に、原文のヘブル語聖書では、「キィー」という節続詞が繰り返されています。これは「なぜならば」と訳せる言葉です。(英語ではfor)   (4節が3節を説明し、5節が4節を説明し、6節が5節を説明しています。)3節の祝福は、4節の主によるご介入の結果です。主の介入は5節の武器放棄によります。そのようなことは人間の目にはありえないことに思われますが、6節でそれがメシヤ(救い主)誕生によって可能になると告げます。
ひとりのみどりご、ひとりの男の子が私たちのために生まれ、私たちに与えられた、と。預言者イザヤは約700年後にこの地上にお生まれになる救い主の御姿を見たのです。  「まつりごと(政事)はその(救い主)の肩にあり」(6)、このお方が世界を統べ治められるのです。
「霊妙なる議士」「驚くべき指導者(新共同訳)」「不思議な助言者(新改訳)」「Wonderful Counselor ワンダフル・カウンセラー」「驚くべき計画者(という訳もある)」どんなときも、私たちと共にいて下さり、必要なときには相談相手になって下さる方。私たち一人ひとりに対して大きな計画を持たれ、聖霊とみ言葉によって導き手となって下さるお方です。
「永遠(とこしえ)の父」、「父」という語はイスラエルでは王に関しては用いられず、神様に関して語られるときに用いられています。「主は… あなたの父ではないか。」 (申命記32章6節 p.294)   「主よ、あなたはわれわれの父」(イザヤ書63章16節 p.1036)   救い主が、神ご自身であり、永遠にいますお方であることを示しています。  「平和の君」…争いは誰でも始めることができますが、平和をつくりだすことは困難なわざです。しかし、キリストは、十字架と復活によって、神と人との間、人と人との間に「シャローム(平和、平安)」をもたらして下さいます。「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意と言う隔ての中垣を取り除き、…」      (エペソ人への手紙2章14節 p.302)
「ダビデの位に座して」(7)、救い主はダビデの子孫として生まれるという預言です。この通りにイエス様は、ダビデの末裔(まつえい)である、ヨセフの子として誕生されたした。(マタイによる福音書1章1節)

結 論)  万軍の主の熱心、熱愛をもって、父なる神様は私たちを愛され、その御約束通りに救い主を送って下さいました。イスラエルのダビデ王朝の歴史は、約600年でした。(BC1010年~586) しかし、大能の神イエス・キリストは主を信じ従う私たちと共に永遠にいて下さるのです。このように、素晴らしい救い主が御誕生して下さったことを心から感謝してクリスマスを待ち望みましょう。

(先週の礼拝(12/3)特別賛美の曲の日本語の歌詞)
「まじかに主いませば」(バッハ作、中田羽後訳詞)
まじかに 主いませば たにまも おそれじ やみよもなにかは
みかおは わがひか げ     ひとすじ さえぎるかげなし
主の手にあるわが身たのしく やすらかに世を去るをうべし
み手にて 主はささえ さかまく ながれをも こえ行かせたまわん
まじかに 主いませば たにまも おそれじ やみよも なにかは やみよも なにかは

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